あぜ道

久々に実家より。祖母の四十九日で束の間の帰省。
空気が綺麗だと、頭もはっきりとする気がします。

自分の近しい人が死ぬ、という経験をこの歳になるまでしてこなかったから、
死についてそこまでリアルに考えることが無かった。
祖母の死は、自分にとって、最も大切な人を失ったという表面と、
死というものについて真剣に考えるようになったという側面を持ち合わせている。

結局のところ、生命が燃え尽きた後どうなるかなんて、自分が燃え尽きてみないとわからない。
故人が空から見守っていてくれるかどうかなんてわからない。
しかし、自分を含めた大多数の人間は、故人の思い出と、与えられた愛情、そして与えた愛情と共に、残された人生を歩んでいく。
自分の大切な人を失うことに関して、客観的な視点を持ち出すのは難しい。
人間というものの脆さと、一抹の愛しさを感じずにはいられない。


法要を終えた後、親戚のチビたちにせがまれて、実家の階段下の公園でしばし戯れる。
ブランコが無くなっていることに気づく。
生えていた木が無くなっていることに気づく。
自分の体力も無くなっていることに気づく。


深夜、祖母の仏壇の前に座っていると、美しい旋律が浮かんできた。
祖母からのプレゼントだろうか。祖母へのプレゼントだろうか。