自分と音楽

人の感情というものには、恐ろしく多くの種類がある。
悲しいとか、嬉しいとか、その感情を言葉で現すことはできさえすれ、
その瞬間・瞬間で覚える感情と、二度と同じ感情を覚えることはできない。
時間に取り込まれ、消えていく音が二度と再現できないのと同じこと。


「何とも言えない気持ち」とはよく言ったもので、
確かに自分は、言葉なんてものでは表せない感情をたくさん知っている。
人は二度と同じ感情を体験できないと知りながら書くから、パラドックスなのだけれど、
自分が死ぬまでに何度も体験したい感情が、確かに、ある。


高速道路から、煌々と灯りを放つ田舎町(それ全体)を見下ろしたとき
数年前の秋に、ボストンのブラック・ミュージシャンが(奏でる、というよりも)放つ音の録音を聴いたとき
友達を欺いて、それでもどこかわくわく、そわそわしながら夏を過ごしたとき


そうした感情は、個人的には正負の基準で捉えるのはナンセンスで、
ただ、感情そのものを見つめようとすることから、意味が始まる。
繰り返しだが、人は二度と同じ感情は体験できない。
だからこそ、あのときと同じ感情が欲しくなるし、
あのときと(微妙に、又は大幅に)違った感情に体が震える。


そうしたことが、一番自分の中では大切なこと。
音楽は、副次的なもの。